広報にじ65号
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事務所だより油木神石高原町原爆被害者協議会会長 山やま本もと 剛たか久ひさ今年も8月19日、町内の人々が反戦と平和の思いを込め8万余の折り鶴を携えて平和公園内の原爆の子の像に献呈する事業に参加させてもらいました。7千余名の町民が8万羽の折り鶴を折ったということは、単純に計算しても乳幼児からお年寄りまで含めて一人当たり10羽以上を折ったということです。町民の平和への思いの深さを噛みしめながら平和公園に向かいました。今回も平和公園内を町友会のお世話で平和ボランティアの方々に案内していただきました。猛暑の中、熱心に時にユーモアも交えながら悲惨な被爆当時の様子を語ってくださったのは、当時、国民学校1年生で被爆したお爺さんでした。強く印象に残ったのはいまだに引き取り手もないまま供養塔に埋葬されている約7万余体の原爆犠牲者の遺骨があるということです。それは供養塔だけではなく、諸処のお寺に無縁仏被爆75年の夏にとして、あるいは未だ発掘されないまま似島や金輪島、市内の土中に放置されている遺骨もあると言うことです。実数や身元について分かりようのない遺骨が多数存在するのです。同じ平和公園内でも供養塔は原爆慰霊碑や原爆の子の像ほど知られていません。いまだに「その他大勢の原爆犠牲者」として忘れ去られようとしている現実に衝撃を受けました。原爆被害の全容については「空白」が多く残されたままだということです。その「空白」自体、たった一発の原爆が一瞬で都市を壊滅させ、人間を身元確認できないほどに焼き尽くしたという事実を突きつけていると思いました。他の資料でも「45年末までの原爆死没者数、約14万人±1万人」という表示がされています。これは原爆に限ったことではなく、戦争犠牲者数には「約何人」というのは見慣れた標記です。つまり、かけがえのない人の命が一人一人尊厳をもって扱われず、大雑把に概数として語られる。これが戦争なんだとあらためて考えさせられました。8月15日は終戦75周年でもありコロナ禍の中、全国戦没者追悼式が例年のように開催さ4広報にじ No.65
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